2014.07.07 より
油彩教室(9) 自画像 [絵]
自分が、なぜ、趣味として絵に取り組もうとしたか。
おおざっぱに言えば、成り行きと消去法といえる。
あまり積極的なモノではない。
だから、またいつやめるかもしれない。その程度のものだ。
高校時代の芸術科目といえば、絵画、書道、音楽だが、このうち、絵画と書道は同じ造形を扱うものとして、共通性はあるものの、似て非なるところがある。
書道には一定の型が確立されている。
型破りの字といわれても、一定の原則が貫かれている。そうでなければ美しくは見えない。
音楽はさらにそうだ。
絵画はその点では自由だ。
何を描いても、(下手か上手かは別として)絵は絵だ。
書道や音楽はそうではない。
一定の約束事を守らねば、字ではないし、音楽ではない。
(ちょっと極論かな。音楽にも鍋の底をたたくような素朴な一面もあるから)
芸術とは脳の中の欲求を満たすものだ。
絵画は、網膜に写った外界を、脳が歴史的、経験的に積み上げて、、解釈し、そこからできた美意識を元にした欲求を満たすものだから、人それぞれだし、価値観は多様だと思う。
そうそう、なぜ絵をやろうと思ったか。
音楽は楽器も歌も全然だめ。(加えて中学時代、まともな音楽の授業はなかった。絵の授業もなかったけどね。信じられない?そういう時代だったんだ)
書道も同様。今、退職してから通信講座を受けている。(ボールペンと筆ペン)
油彩 F6号
年度末恒例の自画像。
去年も描いた。
去年と比べて進歩したかなあ。
何となく進歩した気がする。(自画自賛)
ただ、今回の作品展には出すまいと思う。
去年出したし、客観的にどこが進歩したといえるものがないから。
自画像はモデルがいらないから、西洋の画家たちは売れない時代に沢山描いているらしい。
比べるのはおこがましいが、自分もこうして絵の教室にいるから、若い女性のモデルを描くことができる。そうでなかったら、たとえモデル代を払うからといっても、一人で若い女性に頼めないだろう。一応の画家ならいざ知らず。
不満でも自画像を描くしかない。
おおざっぱに言えば、成り行きと消去法といえる。
あまり積極的なモノではない。
だから、またいつやめるかもしれない。その程度のものだ。
高校時代の芸術科目といえば、絵画、書道、音楽だが、このうち、絵画と書道は同じ造形を扱うものとして、共通性はあるものの、似て非なるところがある。
書道には一定の型が確立されている。
型破りの字といわれても、一定の原則が貫かれている。そうでなければ美しくは見えない。
音楽はさらにそうだ。
絵画はその点では自由だ。
何を描いても、(下手か上手かは別として)絵は絵だ。
書道や音楽はそうではない。
一定の約束事を守らねば、字ではないし、音楽ではない。
(ちょっと極論かな。音楽にも鍋の底をたたくような素朴な一面もあるから)
芸術とは脳の中の欲求を満たすものだ。
絵画は、網膜に写った外界を、脳が歴史的、経験的に積み上げて、、解釈し、そこからできた美意識を元にした欲求を満たすものだから、人それぞれだし、価値観は多様だと思う。
そうそう、なぜ絵をやろうと思ったか。
音楽は楽器も歌も全然だめ。(加えて中学時代、まともな音楽の授業はなかった。絵の授業もなかったけどね。信じられない?そういう時代だったんだ)
書道も同様。今、退職してから通信講座を受けている。(ボールペンと筆ペン)
油彩 F6号
年度末恒例の自画像。
去年も描いた。
去年と比べて進歩したかなあ。
何となく進歩した気がする。(自画自賛)
ただ、今回の作品展には出すまいと思う。
去年出したし、客観的にどこが進歩したといえるものがないから。
自画像はモデルがいらないから、西洋の画家たちは売れない時代に沢山描いているらしい。
比べるのはおこがましいが、自分もこうして絵の教室にいるから、若い女性のモデルを描くことができる。そうでなかったら、たとえモデル代を払うからといっても、一人で若い女性に頼めないだろう。一応の画家ならいざ知らず。
不満でも自画像を描くしかない。
2013-03-17 10:18
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