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2014.07.07 より

尼子三兄弟ゆかりの墓 [遠出]

今日はどんよりとした曇り空。
といっても、雲は薄いようではあるが。

昨日も一日中、晴れてはいても薄雲がかかった空模様だった。
おかげで、火星の撮影はパス。

今日はその雲の厚みが増し、夕方には雨となる予想だ。



尼子氏の拠城月山富田城が落ちたとき、連行された城主達三兄弟がこの向原の地で幽閉されていた。

P4065895説明板縮.jpg

P4065897三兄弟の墓縮.jpg


「墓石」には尼子三兄弟の墓とあるが、実は三兄弟の墓ではない。

三兄弟は毛利氏移封に伴い山口県に移りそこで死んでいる。

だから、この墓は城主達に随行していた重臣達の墓ではないかというわけで、説明板には「・・・ゆかりの墓」となっている。

月山富田城は自分の実家の直ぐ近く(車で10分ほど)にある。

勿論、城跡だけであるが。

この城主達は厚遇されたということであるが、山中鹿之助(幸盛)らの家臣は尼子の血を引く別の主君を担いで戦い続け、死んでいる。

三日月に「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったと伝えられるが、七難八苦は与えられても報いられることはなかった。

丁度、近くを芸備線の汽車が通りかかったので撮った。

P4065917芸備線縮.jpg


学生時代郷里との往復に世話になったこの芸備線。

冬に郷里から広島に戻るとき、このあたりではまだ人家の屋根や田んぼに雪が残っていたりするが、広島の街に着くと嘘のように無かったことを思い出す。

タグ:尼子 芸備線
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