2014.07.07 より
オトギリソウ [ハイキング]
今日は呉でも8時15分にサイレンが鳴り、黙祷を促している。
自分が生まれたのは,原爆が投下されてから3年後。
生まれたのは島根県で、原爆は知識でしかなかった。
しかし、そういう自分でも初めて広島に来て,資料館に入ったときは衝撃だった。
今日、サイレンを聞けば何か迫るものを感じないわけではない。
“原爆許すまじ”
本当は“原爆投下を許すまじ”なのだが、スローガンとしてそこまで言ってしまうと,その意味が“原爆投下したものを許すまじ”となって、復讐の誓いのようになってしまう。
原爆は人間が作って,人間が使ったものだから,“原爆”を責めてもしようがない。
だが、今の時代では,原爆投下を肯定するか否かは立場によって分かれるのが現状だ。
だから“原爆許すまじ”なのだ。
慰霊碑と同じだ。
“・・・。過ちは繰返しませぬから”
日本人の主語をぼかす技法?
だがそうでもしなければ,前に進めないし、弔いも出来ない。
日本人の心の奥にあるもの、というか自分だけかもしれないが、アメリカではなく日本が原爆開発に成功していたなら、アメリカに投下するのを躊躇しただろうかという問い。
おそらく躊躇しなかっただろう。
それはアメリカ以上に無慈悲に遂行しただろうと直感する。
だからアメリカを一面的に責められないのだ。
ブッシュがイラク戦争を決意したとき、日本占領を成功例として描いていたという。
一時は殺し合いになっても、アメリカが勝てば,イラク人はアメリカに友好的になる。
だが、当時の日本はアメリカとイーブンな戦争状態にあった。
たとえ、国力は桁違いに劣っていたとしても。
だから殺し合いしたとしても一方的な被害者ではない。
イラクやアフガンとはそこが違う。
単純なブッシュは見誤った。
オトギリソウ(弟切草)
以前、日本アルプスのイワオトギリを載せた。
その仲間。
鷹を治療する秘薬が採れるというこの草の秘密を他人に漏らしたということで、弟を切ったという伝説がついている。
大山のお花畑にはこの草がたくさん咲いているはずなのだが、そこまで行き着けなかったので、途中の登山道の脇にちらほらとあったもの。
自分が生まれたのは,原爆が投下されてから3年後。
生まれたのは島根県で、原爆は知識でしかなかった。
しかし、そういう自分でも初めて広島に来て,資料館に入ったときは衝撃だった。
今日、サイレンを聞けば何か迫るものを感じないわけではない。
“原爆許すまじ”
本当は“原爆投下を許すまじ”なのだが、スローガンとしてそこまで言ってしまうと,その意味が“原爆投下したものを許すまじ”となって、復讐の誓いのようになってしまう。
原爆は人間が作って,人間が使ったものだから,“原爆”を責めてもしようがない。
だが、今の時代では,原爆投下を肯定するか否かは立場によって分かれるのが現状だ。
だから“原爆許すまじ”なのだ。
慰霊碑と同じだ。
“・・・。過ちは繰返しませぬから”
日本人の主語をぼかす技法?
だがそうでもしなければ,前に進めないし、弔いも出来ない。
日本人の心の奥にあるもの、というか自分だけかもしれないが、アメリカではなく日本が原爆開発に成功していたなら、アメリカに投下するのを躊躇しただろうかという問い。
おそらく躊躇しなかっただろう。
それはアメリカ以上に無慈悲に遂行しただろうと直感する。
だからアメリカを一面的に責められないのだ。
ブッシュがイラク戦争を決意したとき、日本占領を成功例として描いていたという。
一時は殺し合いになっても、アメリカが勝てば,イラク人はアメリカに友好的になる。
だが、当時の日本はアメリカとイーブンな戦争状態にあった。
たとえ、国力は桁違いに劣っていたとしても。
だから殺し合いしたとしても一方的な被害者ではない。
イラクやアフガンとはそこが違う。
単純なブッシュは見誤った。
オトギリソウ(弟切草)
以前、日本アルプスのイワオトギリを載せた。
その仲間。
鷹を治療する秘薬が採れるというこの草の秘密を他人に漏らしたということで、弟を切ったという伝説がついている。
大山のお花畑にはこの草がたくさん咲いているはずなのだが、そこまで行き着けなかったので、途中の登山道の脇にちらほらとあったもの。
2014-08-06 11:16
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