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2014.07.07 より

お船江・フランス菊 [対馬]

お船江というのは、江戸時代初期、対馬藩が建設した船着き場のことである。

現在、フェリーや高速船が発着する厳原港の一角の奥まったところにある。

車でどう行くか迷ったが、通りがかったウォーキングの人に聞くと難なく教えてくれた。

江戸時代の船着き場だから残って当然という気もするが、朝鮮との交易の中心地であったことを考えると、その当時使われていた石積みがきちんと残っているのは感慨深いものがある。

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その周辺は草地になっていて、犬の散歩の人が歩いている。

ちょうど白い菊科の花が咲き乱れていた。

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これはフランス菊らしい。

花はマーガレットそっくりで、実際、フランスではマーガレットと呼ばれているらしい(発音は違うと思うが)。

日本でいうマーガレットは、花はそっくりでも葉が違う。

万関橋 [対馬]

対馬は意外?と大きな島だ。

先入観というのは恐ろしいものだ。

正直言って、江田島程度の感覚だった。

南北の端から端まで、車で3時間ぐらいかかる。

だから南の端に近い方に宿を取ったら、北の方にはあまり行けない。

往復するだけで時間が無くなってしまう。

対馬の中程は千切れそうにくびれていて、その西側の湾が浅茅湾だ。

リアス式というかフィヨルドというか独特の景観だ。

倭寇といわれた人たちもこのような地形を利用して根拠地にしていたんだろうか。

まるで北欧のフィヨルドを根拠地にしていたバイキングのようだ。

ところでもともと対馬は中程でくびれてはいたが、南北がつながった一つの島だった。

しかしくびれ部分は細いので、江戸時代に船越というところを掘って船が通れるようにした。

もともと船を引っ張って丘を越えていたので、この船越という地名になったんだという。

その船越というところからすこし北に、今度は軍艦も通れるように掘った。

それが万関だ。

掘ったのはいわずとしれた日本海海戦を前にした海軍である。

いわばミニパナマ運河といったところか。

といってもそんなに広くなく、車ではあっという間に通りすぎてしまう。

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その近くの小山の上に湾や橋を見下ろせる展望台があったのでそこからの写真

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何度も言うがファンタスティックだ。

烏帽子岳(176m)からの眺めと和多都美神社 [対馬]

烏帽子岳は、浅茅湾から見て城山の反対側(北側)にある。

烏帽子岳の山頂には展望台があり、その60m下まで車があがれる。

浅茅湾の眺めもいいので観光客が多い(らしい)。

城山見学を終えて、車で万関を超えて向かった。

麓には和多都美神社があるがそこにも、山頂直下にも何台も観光バスがおり、すべて韓国人の観光客だった。

韓国人は、よその国の宗教である神社や、おそらく自国にもたくさんあるであろう景色を何故見に来るんだろう?

宿の主人の話では、韓国ははげ山が多く、こんなに木が生い茂っている風景はあまりないから・・ということであったが。

韓国には二度行ったが、風景見物ではなかったので、はげ山が多いかどうかの認識はない。

はげ山が多かったにしても、戦争が終わって何年も経つのだから、植林などで景観も変わっているかもしれない。

対馬はたしかに緑がきれいな気がする。

ちょうど新緑の季節だからかもしれない。

宿がある龍良山(たてらさん)周辺は巨大な木が生い茂る原始林があるようだ。

まあ今回は散策できなかったが、宿から遠い地区ばかり行って、ちょっともったいなかった。

さて、烏帽子展望台からの景観

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DSC06187西方向.JPG



浅茅湾というのはほんと複雑で美しい。

韓国人観光客に挟まれて、落ち着いて撮影でなかったのが心残り。

まあ文句言える立場ではない。先方様の方が桁違いに金を落として対馬に貢献しているだろうから。

そして和多都美(海神?)神社

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DSC06195和多都美神社2.JPG



宮島に似ているが、いいシチュエーションで撮影したら、素人でもそれなりの写真になるかもな。

城山その2 城戸・石塁散策 [対馬]

昨日載せた浅茅湾の景色。

強風が吹いた山頂からのものがなかったので、載せる。

DSC06106浅茅湾(美津島町吹崎).JPG



海に浮かぶ島影風景なら瀬戸内海も有名だが、ここの浅茅湾は深く入り組んだ入り江とひょうたん島のような小島の風景が、まさに絵はがきのように美しい。

そして方向から(多分)白嶽と思われる山影を望む。

DSC06107白嶽?.JPG



500mそこそことは思えない威容に感ずる。

さすが「神の山」。パワースポットかな。


さて、軍用道路から外れて丸木を敷いた坂道を下るとビングシ山への鞍部に出る。

ここに休憩所がある。さて弁当でも・・・・。

イヤイヤ、休憩所とは仮の姿。防人の住居跡だという。

DSC06117住居跡.JPG



住居はもちろん一つではない。

確認されただけでも3カ所。もっとあっただろうな。

周囲には防衛のための土塁や柵、門跡があった。

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門柱穴をうがった石。

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対のものは発見されず、もう一つおいてあるものはレプリカだという。


ここからさらに下に降りると、「二の城戸」に出る。

このお城、金田城(かなたのき)は海岸沿いおよび山頂にかけての急傾斜地を石塁・土塁で囲んでいる。

その海岸沿いに北から、「一の城戸」、「二の城戸」、「三の城戸」という城門がある。

黒瀬湾から上陸してくる敵を防ぎ、あるいは打って出て反撃するためだろう。

西暦663年に白村江で破れた日本軍は大慌てで防備体勢を準備した。

その最前線がこの対馬の金田城だ。

山頂には危急を知らせる烽火台があったとされている。

この城は構造から「朝鮮式山城」とのことだ。

朝鮮軍と戦うのだから朝鮮式?・・・。

え、和式というのが当時あったのか? 無かったのなら、わざわざ「朝鮮式」というのも変だ。

和式山城が当時あって、それが優れているのなら誰と戦おうがそれを使えばよいと思うが、全然知らないので何ともいえない。

1350年前のこと、国家機構や国民意識は未熟とイメージしてしまうが、はるばる東北地方から徴兵されてきた防人たち。

外国との戦争のための兵役。

彼らの思いはどんなだっただろう?

二の城戸は三つの城戸の中でもっとも良く残っているようで。城門跡および内部には平らな敷石も残っているようだ。

DSC06127二の城戸看板.JPG



だが、水害などで石垣が崩れ、現在補修中のようで、どこからどこまでが補修・復元なのかよくわからなくなっている。

補修・復元も大切なことだが、今回はなるべくそれを避けて写真を撮ってみた。

門に向かって左側の石垣

DSC06131二の城戸城門に向かって左.JPG



城門から海に向かっての通路

DSC06132二の城戸城門から海へ.JPG



一の城戸付近の石塁

DSC06136一の城戸付近の石塁.JPG



石塁の内側は低くなっていて通行できるようになっている。


三の城戸の石垣

DSC06139三の城戸付近.JPG



一の城戸、三の城戸にも海へ出られる通路がある。

一の城戸より北側には大吉戸神社があるらしいが、行かなかった。

一の城戸の立て札にはその記載がなかったし、それらしき遊歩道はあったものの、行き先表示がなかったので、雨が降りそうな天気が続いていたこともありあきらめたのだ。

さらに今から思えば、一の城戸、三の城戸の海への通路を降りてみるべきだった。

下から見上げた石垣を撮せたかもしれない。

猿でもするという「反省」を、遅きに失しているがする。

ちなみに「反省」は個人的にするものだから、「おわび」ではないよ。

だれかさん!

城山(273m)遊歩道を散策する [対馬]

白嶽登山は強風なれど快晴のうちに終えることができたが、その翌日は予報通りとはいえ、どんよりと曇り今にも雨が落ちそうな天気だった。

実際に車で登山口に向かっているときにもフロントガラスに雨がぽつぽつ落ちて、雨具の用意がない身には不安がいっぱいだった。

まあそれでも対馬旅行のメインイベントだから少々濡れようとも登ろうと決めていた。

登山口では雨も降っておらず早速出かけた。

遊歩道は幅が広く、4WDの車なら十分通行できる大きさだ。

どうも頂上にある砲台のために軍が作った道路らしい。

頂上まではこの道路をてくてく歩く。

登山というよりウォーキングだ。

その途中に東屋があり、そこに案内板があったので、順不同になるが載せる。

DSC06026金田城跡看板縮.jpg



さて登り初めて最初の景観

DSC06015黒瀬湾を望む縮.jpg



ガイドブックでいえば黒瀬湾が眼下に。

まるでダム湖のような美しさ。

黒瀬湾というが、浅茅湾にあるさらなる入り江だ。

そして石塁

DSC06016石塁と黒瀬湾縮.jpg



石塁の内側にある建物跡

DSC06020石塁と建物(見張所)跡縮.jpg



この急傾斜面に階段状に水平面を作って建物を建てているらしい。

このすぐ下にも、同様な建物跡がある。

石塁に沿っていることから、兵の詰め所か見張り所との説明があった。

案内板の図にあるように石塁は山の斜面に延びている。

これは、さらに上の頂上近くの石塁。

DSC06038南西部石塁縮.jpg



頂上にも石垣があり、その中にもこの防人の石垣があるのだろうが、旧軍の砲台があり、そのための軍用道路の石垣もあることから、予備知識のない身には表示がない限り区別ができない。

砲台跡。

DSC06040砲台跡縮.jpg



これだけではなくかなり大きい。

呉にも砲台跡があるが、呉のものより良く残っている気がする。

対馬にはこのほかにも砲台跡がたくさんあり、ガイドブックには砲台跡巡りでコースができている。

そして頂上からの眺め

DSC06072山頂より浅茅湾縮.jpg


DSC06081山頂より浅茅湾縮.jpg



砲台の位置からの眺めもいいが、そこから30mほど上がったところが本当の頂上らしい。

白嶽の時と同様、そこもすごい強風でそうそうに降りた。

それにしても石塁は白村江敗戦を受けて築かれたもので、7世紀のものだ。

当時の切迫感が伝わってくるようで、湾の美しい景色も相まって感慨深い。

白嶽(しらたけ 519m)に登る [対馬]

3泊4日で対馬旅行に行った。

一番の目的は防人が守備していた石垣の遺構見学だが、登山をしてみたい気持ちもあった。

初日は季節外れのような台風の影響で、午前中はやや雨模様だったが、午後からは持ち直し、そしてその翌日は絶好の天気となった。

その翌日はまた天気が崩れる予報だったので、二日目、思い切って「白嶽」に登った。

「白嶽」は対馬一の高さというわけではないが、九州百名山ということになっていて、人気のある山だ。

標高からいえば737mの灰が峰より低いが、灰が峰には住宅が終わる200mぐらいのところから登っているので、実質同程度の山といえる。

ただ、このところ引きこもりで体がなまっているので心配な点はあった。

登山道は良く整備されていて、ところどころ距離やら標高が書いた立て札もある。

そして、頻繁に細いロープが張ってあって、ハングルの文字とその下に立入禁止の看板がつけてあった。

あとで、宿の主人に聞いたところ、その表示は韓国人がつけたものということであった。

韓国人が危ないところに入って、怪我なぞしないようにということか。

ことほどさように登山をする韓国人は多いようなのだ。

まあしかしこの日は、日本人の数グループには会ったが、韓国人には出くわさなかった。

名山といわれる所以の一つは、頂上近くの急斜面だろう。

ロープが張ってある場面がいくつもある。

頂上部には石英班岩の大きな岩が二つある。

その二つの岩の隙間をくぐって左側の岩が雄岩で頂上だ。

あれほど丁寧だった看板が頂上部にはなく、岩にはロープも鎖もないので、どこが頂上なのか迷った。

いい天気だったが、とにかく強風で岩の上によじ登って吹き落とされてもしようがないと、正直びびった。

すこし先に登って降りてきた若い人に聞いても、ガイドブックの写真とすこし違うようだとすこし自信なげ。

そのあとベテランぽい夫婦が登ってきて、初めてといいながら躊躇なく岩に上がったので、自分もすこし安心して這い上がった。

だが、上はやはり強風で、ただ、這いつくばって急いで写真を撮るだけだった。

ああいう場所はたとえ無風でも、足の力が衰えているのでバランスがとりにくく、怖い。

他人から見れば滑稽な姿だろうが、かまっちゃいられない。

頂上の岩の上から撮った浅茅湾の風景。

DSC05969山頂より縮.jpg



頂上部で雄岩と雌岩を撮る。

雄岩は垂直にそそり立つ岩塊だ。

DSC05968雄岩縮.jpg


DSC05962雌岩縮.jpg



頂上から南西方面に続く尾根。

DSC05965尾根縮.jpg



観光案内のガイドは何回も見たつもりだったが、ちっとも頭に入らない。

今回も、岩の上は危ないから、そこはそうそうに切り上げて、その付近にある「岩のテラス」が眺めも良いと書いてあったのに、その位置の確認もせずに降りてきてしまった。

残念。今思えばそこで落ち着いて写真が撮れたかもしれないのに。



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