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2014.07.07 より

大野城の土塁と石垣 [ハイキング]

今、少し暗くなって、また雨が強くなり始めた。

パソコンが突然リセットされた。瞬間的停電か?

昨日の未明には呉市より避難勧告が出た。

この辺では避難場所は「つばき会館」とのことだが、 遠いので行く気は起きない。

そのうち雨足が弱まったので、そのままにしたが・・・。

この雨の強さで、またも拡声器で何か言ってる。今年は少しやばいかも。



福岡県の大野城跡に行ってきた。

ここは白村江の敗戦後に防衛のために築かれた山城だ。

中世のお城とは全く違うのは当たり前だが、朝鮮式というがその頃日本式があったのかどうか良く分からない。

砦というには規模が大きく、軍の基地のような感じ。

大野城は太宰府のすぐ北にある山塊に築かれており、中心部には倉庫や役所、それを取り囲む尾根には土塁が築かれている。

土塁の長さは6.5キロあるといい、標高が一番高い部分(大城山)では400mを超え、低い部分でも300mぐらいある。

川が流れ出す部分など尾根の切れ目には石垣が築かれている。

土塁の囲いの内側には、現在「県民の森」の施設や水田、小さな部落があるが、「県民の森」付近で標高が280mくらい、北側の低い部分220mぐらいのようだ。

*(注意)標高は自分が歩いた範囲内での手持ちの計器でみたもので、あくまで自分の実感であり、資料に基づいたものではない。

小石垣にある説明板にある「大野城全体図」が素人目でわかりやすいので載せる。

DSC03417小石垣説明板全体.jpg


DSC03417小石垣説明板大野城全体図.jpg



大野城と太宰府政庁、水城との位置関係がよく分かる。

太宰府の防衛用にはもう一つ「基肄城」があるが、これはこの図の外である。

土塁を載せる。

大野城の南部にある増長天付近と太宰府口付近。

DSC03262増長天付近の土塁.jpg


DSC03343太宰府口付近の土塁.jpg



基本的に土塁は大野城の周囲にあり、その上が道になっているものが多い。

しかし、よく残っているものだと思う。

過去に修復されている可能性もあるが、やはりよほど強く突き固められているのだろう。
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