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2014.07.07 より

大野城の土塁と石垣 その2 [ハイキング]

大野城が朝鮮式山城といわれるのは、これが亡命百済人(将軍?)の指揮のもと築かれたとされているからである。

去年行って見た対馬の金田城もそうだ。

そのほかにもいくつかあるが、現存しているものとしては高松市の屋嶋城がある。

これらの城は『日本書紀』に記載がある。

これを城と見なすのかという点については、日本の城の概念と少し違うのではないかとも思うが、それはまあ呼び方の問題なので本質的な問題では無かろう。

もう一つ、何故日本式ではないのか?ということ。

城の築き方も知らなかったとすれば、それまでよく高句麗や新羅と戦ってきたものだな。

よく白村江に大軍を送り込んだものだな・・・と。

攻める一方だったから、こういう防衛型の城は必要なかったということか?

それはともかく、敗戦後2~3年でよくこんな険しいところに土塁や石垣を築いたな。

土塁ったって、土をただ盛り上げたものではない。

粘土質と砂質の土を交互に積み上げて突き固める『版築工法』というものだ(そうだ)。



さて石垣

大野城の土塁南側に位置する「大石垣」

DSC03277大石垣.JPG


DSC03276大石垣説明板トリトリ.jpg



図の現在地とはその説明板の位置で、石垣の上の方。


大野城の北の方に位置する、現存石垣最大の「百間石垣」

DSC03374百間石垣.JPG


DSC03391百間石垣2.JPG


DSC03395百間石垣1.JPG


DSC03379百間石垣説明板2太宰府史跡と大野城跡.jpg


DSC03379百間石垣説明板2大野城跡全体図.jpg



百間石垣にそって道路と川(四王寺川)が流れているが、その部分に城門跡があるということだったが、よく分からなかった。

案内人がいないとなかなかみるべきものをみることができない。

百間石垣の東の高い尾根に位置する「北石垣」

DSC03408北石垣.JPG



そこからさらに東に下りたところに、谷があり川があるが、そこに「小石垣」がある。

DSC03420小石垣.JPG


DSC03417小石垣説明板復元図.jpg



これらの石垣はほとんど近年の水害で被害を受けているようだ。

石垣は川の流れに対しダムのように築かれていることが多いから、集中豪雨には弱い。

よく今までこれだけもってきたものだと思う。

ちなみにこの石垣たちは城の南北の土塁が二重になっている部分にあるが、

そのうち大石垣は外側の土塁、あとの三つは内側の土塁に位置している。
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