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2014.07.07 より

大野城 累々と残る礎石 [ハイキング]

庭の松の剪定は終えたことにし、きのうは少し草取り。

しゃがんでいると背骨の軟骨を圧迫するのかすぐ腰が痛くなる。

腰痛は神経を通じて頭にも歯茎にも影響する。

草はほとんど手つかずだが、今日は休養だ。情けない!


大野城には多くの城門や建物の礎石が残っている。

礎石とはその上に建物の柱を置くわけだが、もともと大野城では掘っ立て柱だったらしい。

穴を掘って、柱を立てるのだ。

日本では古来より使ってきた手法だし、大急ぎで作ったものだからそうだったんだろう。

ところがその後、改築されて礎石が使われたとのことだ。

掘っ立て柱のあとも発掘調査でたくさん確認されているようだが、もちろん通りすがりのような自分には分かるはずもない。

跡地というのはほとんど草むらで、つわものどもが夢のあとである。

それでも礎石たちは発掘されて、その後草むらとなっても所々顔を出している。


二つの城門については先に載せたが、礎石をアップしてなかったので載せる。


正門たる太宰府口の城門礎石

DSC03352太宰府口城門礎石.JPG



水城口城門礎石

DSC03300水城口城門礎石.JPG



八ツ並建物群礎石

DSC03317八ツ並礎石.JPG



八ツ並地区は大野城中央部西方にあり、建物は14棟あってすべて高床式倉庫


主城原礎石群

DSC03446主城原礎石1.JPG


DSC03472主城原礎石2.JPG



主城原は大野城中心部やや北側にあり、広範に多くの礎石が見つかっている。

大部分は倉庫のようだが、役所とみられる掘っ立て柱の跡も発掘されているとのことだ。


村上建物礎石群

DSC03488村上礎石.JPG



ここにあった説明板にある想像図を載せる。

DSC03486村上礎石建物跡説明板図.jpg



村上地区は大野城中央部の南東部にあり、主城原からの尾根筋にある。

ここから県民の森はすぐ近くだ。
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