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2014.07.07 より

大野城の花 その3 ハルジオン、コマツナギ [遠出]

大野城にたくさん咲いていたハルジオンとコマツナギ


増長天発掘跡に咲いているハルジオン

DSC03258増長天跡のハルジオン.JPG



土塁の上を白く飾っているハルジオン

DSC03263土塁に咲くハルジオン.JPG



土塁の縁に咲いていたコマツナギ

DSC03268コマツナギ.JPG


DSC03272コマツナギup.JPG



ハギに似ているが、同じ豆科だ。


ハルジオンもコマツナギも家の周辺で見かける草花だ。

大野城では盛大に咲いていた。
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大野城の花 その2 ウツボグサ、ママコナ [ハイキング]

朝からすごい雨音だ。

梅雨末期の豪雨となっているらしい。

九州、山口が中心だが、この辺も危ない。

この前、墓参りに行ったらその経路の道が一カ所崩れていた。

山からの尾根筋に当たるその道は軽自動車がやっと通れる道幅だが、その半分が崩れていた。


こういう日は、外で用事や仕事をしなければという小心者への強迫観念にさいなまれることはない。

いいことなのかは分からないが・・・。



大野城の続きだ。

大野城は花の城と言っていいほど、山野草の花が多い。

別に放っておいただけだろうが、それでも発掘跡だから雑木や笹など山野草には障害となるものを除去していることも関係しているかもしれない。


ウツボグサ

DSC03366ウツボグサ1.JPG


DSC03368ウツボグサ2.JPG


DSC03371ウツボグサ3.JPG



これは太宰府口門跡付近で撮ったものだ。

シソ科だが、紫の色が美しい。

山歩きで過去見たものと違って、群生しているのが感動だ。


ママコナ

DSC03456ママコナ1.JPG


DSC03449ママコナ赤.JPG



ママコナは各所で見たが、写真は村上礎石群があったところだ。

山ではよく見る花ではあるが、ウツボグサ同様、群生しているのは壮観だ。

それに、白花も少数といえど確実に混じって目立っていた。

DSC03454ママコナ紅白.JPG


DSC03460ママコナ白.JPG



白は初めてだ。

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大野城の花 その1 ムラサキニガナ(紫苦菜) [ハイキング]

未明から今朝にかけて相当雨が降った・・・ようだ。

梅雨明け間近というのはガセネタだったようだ。

今は小雨で、少し明るくなってきたから、雨が上がるのかもしれない。


大野城ではあちこちで発掘がなされ、礎石があらわになっている場所が点々とある。

自分には分からないが、掘っ立て柱の柱穴跡の発掘は埋め戻されているんだろうか。

いずれにしてもそのような場所は立木は除去され平面になっているが、今や鬱蒼とした草地になっている。

傍に掲示してある発掘時の写真と比べれば草の繁茂が分かる。

当然だし、特に頻繁には草刈りをする必要も無かろう。

周りに見物に来ている人間は一人も?いなかったから・・・。

???・・・いや、県民の森近くでは居たことは居たな!  何を撮るのか知らないが大きなカメラを提げた人も。


というわけで遺跡が目的だけれど、草花も撮っておいた。

ムラサキニガナ

ニガナという名前は付いているが、いわゆるあの黄色いニガナの花には似ていない。

同じキク科ではあるが、属が別にしてあるようだ。

・・・ようだというのは、この「属」というのは出典によって往々にして変わるのである。

誰が、何故、「・・・ニガナ」としたのかは不明のようだ(不明が多いな)

ちなみに我が山野草バイブル「広島の山野草」には載っていない。

広島県にはないというようなことはないと思うんだが、ありふれているようで自分も見たことはなかった。

だから、このブログには初登場となる。


大野城の北石垣のあたりに生えて咲いていた。

周辺は山で半日陰状態。

DSC03423トリtx.jpg


DSC03428全身2.jpg


DSC03426花アップ.jpg


DSC03429花穂アップ.jpg



希少品種というわけでもなかろうが、生育環境はえり好みがあるようだ。


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太宰府政庁跡と四王寺山 [ハイキング]

昨日、今日暑い!!

この暑さはもう梅雨明け間近と言うことか。

体調は絶好というわけではないが、何とか動かねば。



四王寺山とは大野城を構成する山塊を言うようである。

だから四王寺山には最高峰の大城山(410m)や大原山(350m)が含まれる.

取り立てて四王寺山というピークはない。

呉市で言えば野呂山という山はあるが、野呂山というピークはないようなものか?

四王寺というのは城の4つの守り神として毘沙門天、広目天、増長天、持国天をおいたことからのようで、そのうち毘沙門天は大城山にそのお堂があり、今でもお参りされているようだ。

DSC03313毘沙門天.JPG



太宰府政庁跡とそこから見える四王寺山

DSC03501政庁跡と四王寺山.JPG



手前の南門は、当初は掘っ立て柱だったが、その後奈良時代に礎石作りになったと言うことで、現在残っている礎石は平安時代のものと言うことだ。

説明板にある南門の復元想像図

DSC03498南門復元模型.jpg



しかし、大野城は実際に戦いに使われたわけではないから、太宰府防衛にどういう寄与するものか判然としない。

太宰府を守りたければ大野城内に作ればいいわけだし。

水城を超えて攻め込まれれば、太宰府は裸になるわけで、大野城内に逃げ込むぐらいしかないが・・・。
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大野城 累々と残る礎石 [ハイキング]

庭の松の剪定は終えたことにし、きのうは少し草取り。

しゃがんでいると背骨の軟骨を圧迫するのかすぐ腰が痛くなる。

腰痛は神経を通じて頭にも歯茎にも影響する。

草はほとんど手つかずだが、今日は休養だ。情けない!


大野城には多くの城門や建物の礎石が残っている。

礎石とはその上に建物の柱を置くわけだが、もともと大野城では掘っ立て柱だったらしい。

穴を掘って、柱を立てるのだ。

日本では古来より使ってきた手法だし、大急ぎで作ったものだからそうだったんだろう。

ところがその後、改築されて礎石が使われたとのことだ。

掘っ立て柱のあとも発掘調査でたくさん確認されているようだが、もちろん通りすがりのような自分には分かるはずもない。

跡地というのはほとんど草むらで、つわものどもが夢のあとである。

それでも礎石たちは発掘されて、その後草むらとなっても所々顔を出している。


二つの城門については先に載せたが、礎石をアップしてなかったので載せる。


正門たる太宰府口の城門礎石

DSC03352太宰府口城門礎石.JPG



水城口城門礎石

DSC03300水城口城門礎石.JPG



八ツ並建物群礎石

DSC03317八ツ並礎石.JPG



八ツ並地区は大野城中央部西方にあり、建物は14棟あってすべて高床式倉庫


主城原礎石群

DSC03446主城原礎石1.JPG


DSC03472主城原礎石2.JPG



主城原は大野城中心部やや北側にあり、広範に多くの礎石が見つかっている。

大部分は倉庫のようだが、役所とみられる掘っ立て柱の跡も発掘されているとのことだ。


村上建物礎石群

DSC03488村上礎石.JPG



ここにあった説明板にある想像図を載せる。

DSC03486村上礎石建物跡説明板図.jpg



村上地区は大野城中央部の南東部にあり、主城原からの尾根筋にある。

ここから県民の森はすぐ近くだ。
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