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2014.07.07 より

ディズニーランド [遠出]

グループは年寄りばかりなのにディズニーランドに行った。

ちゃんとシニア割引もあるんだが、入ってみるとやはり若い人が多い。

地元で高齢者ばかり見ている身には新鮮だ。

ちなみにディズニーランド内では酒が飲めない。なるほどとも思えるが、近所にあるディズニーシーでは飲めるらしい。

そういう意味ではディズニーシーの方が高齢者向きなのかな。

中身はよく分からんけど。

さて、ディズニーランド、いろいろ乗り物には乗った。

噂に聞く長い待ち時間は思ったほどではなかった。

写真に撮っているのは「ジャングルクルーズ」というやつ。

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船に乗って水路を一回り。両側でロボットの動物が忙しくアピールする。

滝なんかもある。

小さい子はやっぱり固まってしまって船の中ばかり見てた。

ロボットとわかっていてもやはり怖いかもしれん。

下は「ビッグサンダーマウンテン」という乗り物の入り口。

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これがまあ一番良かったかなという気がする。

「スペースマウンテン」とか「スターツァーズ」とかにも乗ったが、これは動きが激しいだけで芸がない気がする。

気分が悪くなり後で寝込んでしまったからかもしれんし、単にジジイには向いてないということかもしれんが。

ガイドしてくれた友人によれば、メインイベントはやはりパレードだとのこと。

ということで、何とか写真に納め・・・・ようとしたが、撮りたいものは他の人も同じなわけで、ほんとに好きで来ている若い人の邪魔をするわけにはいかず、まあ人の後頭部ばかりを撮ることになる。

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パレードの車よりもダンスが良かったんだが、これも速いから、いざというときは向こう向きになっていて・・・、素人ジジイには無理なことが多い。

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東京見物 [遠出]

  写真で見ただろう? おっ母さん
  お堀に映った二重橋
  「東京見物させたいもの」と
・・・・

東京には観光としての見所が沢山ある てなことは一応わかっているつもり。

しかし、現役時代は仕事その他云々以外で訪れたことは一回もなかった。

主目的が済んだ後のついでの観光ということも心の余裕がなかったんだろうな1回もなかった。

今回、友人仲間でディズニーランドとやらに行くことになった。

今はヒマは暇なんだから、その前後に観光をすることになった。

千葉の友人夫妻がその案内をしてくれたのは有り難かったが、いろいろ世話をかけてしまった。

初めてのものを見て回っているんだが、記憶のダムが決壊しかかっているんで、すぐにどうだったかなとなってしまう。

まあ、ブログに載せておくのは、他人にはどうでもいい内容であっても、自分にとっては備忘録として有意義かもしれん。


第一日目ははとバスで銀杏並木や二重橋の付近を通ったが、カメラが手元になかったので、写真はない。

第二日目はスカイツリーから

何しろ東京タワーにも行ったことはないんだが、そこは“馬鹿の高上がり”是非行って見たい場所だ。

その場所で見上げた写真は沢山撮ったんだが、タワーのカタログじゃないんだからあまり気に入らない。

これはその後、浅草から撮った写真。

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その日はよく晴れていた。

展望台から富士山が・・・・!

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上京途中の新幹線からも見えたけど、いいねえ・・何か得した気分。

こちらは東京タワーが見えている。

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手前のビル群がどこなのか、教えてもらったかもしれないがわからない。


スカイツリーを降りた後、浅草寺へ。

仲見世は相変わらずの人出。

五重塔! タワー好き

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次は隅田川を水上バスで川下り。

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なんという盛りだくさんの観光。

最後はイルミネーションや夜景見物。

カメラの電池が少なく、慌てていたのでうまく撮れていない。ボツ。
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ひまわり農場 [遠出]

盆に息子一家が帰省したので、世羅にある観光農場にひまわりを見物にいった。

家のひまわりは、もちろん寿命を終えてて、今は残った茎に小さな花がちらほら咲いているだけ。

枯れた茎は除去したが、花が咲いているのは美しくなくても切りがたく、変色して垂れ下がった葉を除去しただけで残している。

ところがたまたまテレビでひまわり農場を見て、その数やひまわりの生き生きした姿に是非見たくなった。

そこで孫が喜ぶかどうかは分からないが行ってみることにしたのだ。

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いやあすごいね。

主な種類は2種類だが、畑によってせいの高さが違ったり、花の咲き具合に差を付けたり。

ちょうど盆の時期に満開を持ってきたのだろうが、さすがだ。

花は子供の顔のように大きく、せいの高さもちょうど見頃のものをそろえている。

もちろん普通に高いものもあるが、それはちょっとだけ。

まるで造花を並べたように「顔」が一方向に向いているのもおもしろい。

いつもなら“不自然だ”とか皮肉を言いたいところだが、この時期のひまわりは許す。

有料だが、少し癒された。

孫も喜んでいたようだし・・・といってもメイロに夢中になっていたが。

お船江・フランス菊 [遠出]

お船江というのは、江戸時代初期、対馬藩が建設した船着き場のことである。

現在、フェリーや高速船が発着する厳原港の一角の奥まったところにある。

車でどう行くか迷ったが、通りがかったウォーキングの人に聞くと難なく教えてくれた。

江戸時代の船着き場だから残って当然という気もするが、朝鮮との交易の中心地であったことを考えると、その当時使われていた石積みがきちんと残っているのは感慨深いものがある。

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その周辺は草地になっていて、犬の散歩の人が歩いている。

ちょうど白い菊科の花が咲き乱れていた。

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これはフランス菊らしい。

花はマーガレットそっくりで、実際、フランスではマーガレットと呼ばれているらしい(発音は違うと思うが)。

日本でいうマーガレットは、花はそっくりでも葉が違う。
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万関橋 [遠出]

対馬は意外?と大きな島だ。

先入観というのは恐ろしいものだ。

正直言って、江田島程度の感覚だった。

南北の端から端まで、車で3時間ぐらいかかる。

だから南の端に近い方に宿を取ったら、北の方にはあまり行けない。

往復するだけで時間が無くなってしまう。

対馬の中程は千切れそうにくびれていて、その西側の湾が浅茅湾だ。

リアス式というかフィヨルドというか独特の景観だ。

倭寇といわれた人たちもこのような地形を利用して根拠地にしていたんだろうか。

まるで北欧のフィヨルドを根拠地にしていたバイキングのようだ。

ところでもともと対馬は中程でくびれてはいたが、南北がつながった一つの島だった。

しかしくびれ部分は細いので、江戸時代に船越というところを掘って船が通れるようにした。

もともと船を引っ張って丘を越えていたので、この船越という地名になったんだという。

その船越というところからすこし北に、今度は軍艦も通れるように掘った。

それが万関だ。

掘ったのはいわずとしれた日本海海戦を前にした海軍である。

いわばミニパナマ運河といったところか。

といってもそんなに広くなく、車ではあっという間に通りすぎてしまう。

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その近くの小山の上に湾や橋を見下ろせる展望台があったのでそこからの写真

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何度も言うがファンタスティックだ。

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烏帽子岳(176m)からの眺めと和多都美神社 [遠出]

烏帽子岳は、浅茅湾から見て城山の反対側(北側)にある。

烏帽子岳の山頂には展望台があり、その60m下まで車があがれる。

浅茅湾の眺めもいいので観光客が多い(らしい)。

城山見学を終えて、車で万関を超えて向かった。

麓には和多都美神社があるがそこにも、山頂直下にも何台も観光バスがおり、すべて韓国人の観光客だった。

韓国人は、よその国の宗教である神社や、おそらく自国にもたくさんあるであろう景色を何故見に来るんだろう?

宿の主人の話では、韓国ははげ山が多く、こんなに木が生い茂っている風景はあまりないから・・ということであったが。

韓国には二度行ったが、風景見物ではなかったので、はげ山が多いかどうかの認識はない。

はげ山が多かったにしても、戦争が終わって何年も経つのだから、植林などで景観も変わっているかもしれない。

対馬はたしかに緑がきれいな気がする。

ちょうど新緑の季節だからかもしれない。

宿がある龍良山(たてらさん)周辺は巨大な木が生い茂る原始林があるようだ。

まあ今回は散策できなかったが、宿から遠い地区ばかり行って、ちょっともったいなかった。

さて、烏帽子展望台からの景観

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浅茅湾というのはほんと複雑で美しい。

韓国人観光客に挟まれて、落ち着いて撮影でなかったのが心残り。

まあ文句言える立場ではない。先方様の方が桁違いに金を落として対馬に貢献しているだろうから。

そして和多都美(海神?)神社

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宮島に似ているが、いいシチュエーションで撮影したら、素人でもそれなりの写真になるかもな。

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城山その2 城戸・石塁散策 [遠出]

昨日載せた浅茅湾の景色。

強風が吹いた山頂からのものがなかったので、載せる。

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海に浮かぶ島影風景なら瀬戸内海も有名だが、ここの浅茅湾は深く入り組んだ入り江とひょうたん島のような小島の風景が、まさに絵はがきのように美しい。

そして方向から(多分)白嶽と思われる山影を望む。

DSC06107白嶽?.JPG



500mそこそことは思えない威容に感ずる。

さすが「神の山」。パワースポットかな。


さて、軍用道路から外れて丸木を敷いた坂道を下るとビングシ山への鞍部に出る。

ここに休憩所がある。さて弁当でも・・・・。

イヤイヤ、休憩所とは仮の姿。防人の住居跡だという。

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住居はもちろん一つではない。

確認されただけでも3カ所。もっとあっただろうな。

周囲には防衛のための土塁や柵、門跡があった。

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門柱穴をうがった石。

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対のものは発見されず、もう一つおいてあるものはレプリカだという。


ここからさらに下に降りると、「二の城戸」に出る。

このお城、金田城(かなたのき)は海岸沿いおよび山頂にかけての急傾斜地を石塁・土塁で囲んでいる。

その海岸沿いに北から、「一の城戸」、「二の城戸」、「三の城戸」という城門がある。

黒瀬湾から上陸してくる敵を防ぎ、あるいは打って出て反撃するためだろう。

西暦663年に白村江で破れた日本軍は大慌てで防備体勢を準備した。

その最前線がこの対馬の金田城だ。

山頂には危急を知らせる烽火台があったとされている。

この城は構造から「朝鮮式山城」とのことだ。

朝鮮軍と戦うのだから朝鮮式?・・・。

え、和式というのが当時あったのか? 無かったのなら、わざわざ「朝鮮式」というのも変だ。

和式山城が当時あって、それが優れているのなら誰と戦おうがそれを使えばよいと思うが、全然知らないので何ともいえない。

1350年前のこと、国家機構や国民意識は未熟とイメージしてしまうが、はるばる東北地方から徴兵されてきた防人たち。

外国との戦争のための兵役。

彼らの思いはどんなだっただろう?

二の城戸は三つの城戸の中でもっとも良く残っているようで。城門跡および内部には平らな敷石も残っているようだ。

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だが、水害などで石垣が崩れ、現在補修中のようで、どこからどこまでが補修・復元なのかよくわからなくなっている。

補修・復元も大切なことだが、今回はなるべくそれを避けて写真を撮ってみた。

門に向かって左側の石垣

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城門から海に向かっての通路

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一の城戸付近の石塁

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石塁の内側は低くなっていて通行できるようになっている。


三の城戸の石垣

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一の城戸、三の城戸にも海へ出られる通路がある。

一の城戸より北側には大吉戸神社があるらしいが、行かなかった。

一の城戸の立て札にはその記載がなかったし、それらしき遊歩道はあったものの、行き先表示がなかったので、雨が降りそうな天気が続いていたこともありあきらめたのだ。

さらに今から思えば、一の城戸、三の城戸の海への通路を降りてみるべきだった。

下から見上げた石垣を撮せたかもしれない。

猿でもするという「反省」を、遅きに失しているがする。

ちなみに「反省」は個人的にするものだから、「おわび」ではないよ。

だれかさん!
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城山(273m)遊歩道を散策する [遠出]

白嶽登山は強風なれど快晴のうちに終えることができたが、その翌日は予報通りとはいえ、どんよりと曇り今にも雨が落ちそうな天気だった。

実際に車で登山口に向かっているときにもフロントガラスに雨がぽつぽつ落ちて、雨具の用意がない身には不安がいっぱいだった。

まあそれでも対馬旅行のメインイベントだから少々濡れようとも登ろうと決めていた。

登山口では雨も降っておらず早速出かけた。

遊歩道は幅が広く、4WDの車なら十分通行できる大きさだ。

どうも頂上にある砲台のために軍が作った道路らしい。

頂上まではこの道路をてくてく歩く。

登山というよりウォーキングだ。

その途中に東屋があり、そこに案内板があったので、順不同になるが載せる。

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さて登り初めて最初の景観

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ガイドブックでいえば黒瀬湾が眼下に。

まるでダム湖のような美しさ。

黒瀬湾というが、浅茅湾にあるさらなる入り江だ。

そして石塁

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石塁の内側にある建物跡

DSC06020石塁と建物(見張所)跡縮.jpg



この急傾斜面に階段状に水平面を作って建物を建てているらしい。

このすぐ下にも、同様な建物跡がある。

石塁に沿っていることから、兵の詰め所か見張り所との説明があった。

案内板の図にあるように石塁は山の斜面に延びている。

これは、さらに上の頂上近くの石塁。

DSC06038南西部石塁縮.jpg



頂上にも石垣があり、その中にもこの防人の石垣があるのだろうが、旧軍の砲台があり、そのための軍用道路の石垣もあることから、予備知識のない身には表示がない限り区別ができない。

砲台跡。

DSC06040砲台跡縮.jpg



これだけではなくかなり大きい。

呉にも砲台跡があるが、呉のものより良く残っている気がする。

対馬にはこのほかにも砲台跡がたくさんあり、ガイドブックには砲台跡巡りでコースができている。

そして頂上からの眺め

DSC06072山頂より浅茅湾縮.jpg


DSC06081山頂より浅茅湾縮.jpg



砲台の位置からの眺めもいいが、そこから30mほど上がったところが本当の頂上らしい。

白嶽の時と同様、そこもすごい強風でそうそうに降りた。

それにしても石塁は白村江敗戦を受けて築かれたもので、7世紀のものだ。

当時の切迫感が伝わってくるようで、湾の美しい景色も相まって感慨深い。

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白嶽(しらたけ 519m)に登る [遠出]

3泊4日で対馬旅行に行った。

一番の目的は防人が守備していた石垣の遺構見学だが、登山をしてみたい気持ちもあった。

初日は季節外れのような台風の影響で、午前中はやや雨模様だったが、午後からは持ち直し、そしてその翌日は絶好の天気となった。

その翌日はまた天気が崩れる予報だったので、二日目、思い切って「白嶽」に登った。

「白嶽」は対馬一の高さというわけではないが、九州百名山ということになっていて、人気のある山だ。

標高からいえば737mの灰が峰より低いが、灰が峰には住宅が終わる200mぐらいのところから登っているので、実質同程度の山といえる。

ただ、このところ引きこもりで体がなまっているので心配な点はあった。

登山道は良く整備されていて、ところどころ距離やら標高が書いた立て札もある。

そして、頻繁に細いロープが張ってあって、ハングルの文字とその下に立入禁止の看板がつけてあった。

あとで、宿の主人に聞いたところ、その表示は韓国人がつけたものということであった。

韓国人が危ないところに入って、怪我なぞしないようにということか。

ことほどさように登山をする韓国人は多いようなのだ。

まあしかしこの日は、日本人の数グループには会ったが、韓国人には出くわさなかった。

名山といわれる所以の一つは、頂上近くの急斜面だろう。

ロープが張ってある場面がいくつもある。

頂上部には石英班岩の大きな岩が二つある。

その二つの岩の隙間をくぐって左側の岩が雄岩で頂上だ。

あれほど丁寧だった看板が頂上部にはなく、岩にはロープも鎖もないので、どこが頂上なのか迷った。

いい天気だったが、とにかく強風で岩の上によじ登って吹き落とされてもしようがないと、正直びびった。

すこし先に登って降りてきた若い人に聞いても、ガイドブックの写真とすこし違うようだとすこし自信なげ。

そのあとベテランぽい夫婦が登ってきて、初めてといいながら躊躇なく岩に上がったので、自分もすこし安心して這い上がった。

だが、上はやはり強風で、ただ、這いつくばって急いで写真を撮るだけだった。

ああいう場所はたとえ無風でも、足の力が衰えているのでバランスがとりにくく、怖い。

他人から見れば滑稽な姿だろうが、かまっちゃいられない。

頂上の岩の上から撮った浅茅湾の風景。

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頂上部で雄岩と雌岩を撮る。

雄岩は垂直にそそり立つ岩塊だ。

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頂上から南西方面に続く尾根。

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観光案内のガイドは何回も見たつもりだったが、ちっとも頭に入らない。

今回も、岩の上は危ないから、そこはそうそうに切り上げて、その付近にある「岩のテラス」が眺めも良いと書いてあったのに、その位置の確認もせずに降りてきてしまった。

残念。今思えばそこで落ち着いて写真が撮れたかもしれないのに。



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大崎下島 御手洗 [遠出]

御手洗には街並み保存地区がある。

江戸時代後期から風待ち、潮待ち港として栄えたという。

豊町として合併してからは町の中心が大長に移り、そのため古い街並みが残っているということだ。

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まだ、いろいろ古い建物があるが、この日は風が冷たくて・・・。

大崎下島最高峰という「一峰寺山」に(車で)上がってみるが、細い道を苦労して?上がった割には頂上の「公園」からの見晴らしはきかず。

遊歩道の整備はばっちりだが、頂上の周りの小木が伸びてしまったようだ。

少し下の展望台からの写真。

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前に見える二つの橋でつながった島は岡村島でもう愛媛県だ。

おかしなことに、その向こうが大崎上島。

大崎上島には橋がなく、島は離島だ。

大崎下島 大長 [遠出]

呉のスーパーに行くと「大長みかん」というのが果物売り場の主人顔で並んでいる。

よその街へ行けば、また違うミカンが並んでいるかもしれないが。

正月前後、たまにはミカンも食べたいなとスーパーで買ってきて食べていた。

あくまで自分の頭の先入観だと思うが、ミカンというのは当たり外れがある。

せっかく、皮をむいて筋を取って、いざパクッとしても、案外、薄皮が硬くてあまりおいしくなかったりする。

その点で大長ミカンは、これも狭い経験の中での先入観だと思うが、おおむね外れが少ないと思う。

ところで、大長ってなんだ。

世間知らずなんで全く知らなかった上、知ろうともしなかったが、大崎下島の由緒正しい地区の名前だったんだ。

隣には御手洗地区があり、街並み保存されている古い通りがある。

こういうことは同居している息子が詳しい。

そこでというわけではないけれど、二人でミカンを買いに出かけた。

今、大崎下島は呉市になっていて、大長は呉市豊町である。

大長港の近くで目的のミカンを量り売りで買い、大長と御手洗の観光をした。

ここは観光地でもあるんだ。

観光客は少ないが、それでもそれらしき人が歩いている。

レモンもある。

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出荷風景(トラックのシートが被さる寸前)

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大長港近く、昭和の雰囲気?

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尼子三兄弟ゆかりの墓 [遠出]

今日はどんよりとした曇り空。
といっても、雲は薄いようではあるが。

昨日も一日中、晴れてはいても薄雲がかかった空模様だった。
おかげで、火星の撮影はパス。

今日はその雲の厚みが増し、夕方には雨となる予想だ。



尼子氏の拠城月山富田城が落ちたとき、連行された城主達三兄弟がこの向原の地で幽閉されていた。

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「墓石」には尼子三兄弟の墓とあるが、実は三兄弟の墓ではない。

三兄弟は毛利氏移封に伴い山口県に移りそこで死んでいる。

だから、この墓は城主達に随行していた重臣達の墓ではないかというわけで、説明板には「・・・ゆかりの墓」となっている。

月山富田城は自分の実家の直ぐ近く(車で10分ほど)にある。

勿論、城跡だけであるが。

この城主達は厚遇されたということであるが、山中鹿之助(幸盛)らの家臣は尼子の血を引く別の主君を担いで戦い続け、死んでいる。

三日月に「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と祈ったと伝えられるが、七難八苦は与えられても報いられることはなかった。

丁度、近くを芸備線の汽車が通りかかったので撮った。

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学生時代郷里との往復に世話になったこの芸備線。

冬に郷里から広島に戻るとき、このあたりではまだ人家の屋根や田んぼに雪が残っていたりするが、広島の街に着くと嘘のように無かったことを思い出す。

タグ:尼子 芸備線

みかん [遠出]

昨日に続いて江田島の写真を載せる。

五輪塔近く、たわわに実ったみかんが通路に垂れ下がる。

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五輪塔近く、美しく咲いていたサザンカ。

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家のサザンカもこんなにきれいだったらいいのに。

手入れの問題か?

干潮の江田島湾。

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五輪塔 [遠出]

この前の土曜日、息子と共に江田島に行った。

江田島の市役所の近くに中世の五輪塔がある。

以前にも島根県あたりに見に行ったが、自分自身としては趣味も信心もないので自慢じゃないけれど全く分からない。

息子の趣味なのだが。

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五輪とは、もちろんオリンピックとは関係ない。

つまらんギャグいうな。

5層の塔のうち、下から地水火風空を表しているという。

知ったげなこと言わなくても、この看板に書いてある。

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江田島市がちゃんと保全・管理している。と、息子は感心していた。


その近くにコマツヨイグサが・・・。

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西谷墳墓群 [遠出]

島根県出雲市にある西谷(にしだに)墳墓群。
ボランティアガイドをしている友人に案内してもらった。

ここには古代の墓が密集しており、「ガイドブック」にも2~5世紀にわたって、20を超える墳墓が記載されている。

この中で見学者向けに整備されているのは2~3世紀の1~6号墳だ。

墳墓群登り口の案内図。

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6号墳から見た斐伊川。

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ここの特徴は4隅(よすみ)突出型で墳墓の4隅がスロープ状に伸びている。
4号墳

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また、石垣のように壁面に石が貼り付けられている。
3号墳

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かなり手が入れられているから、少し墓としての現実感というか、畏れ多さというかそのようなものはない。
2号墳の下は展示室になっている。

眠っていた王達は、装飾品だけ残してどこへ行ったのか。
こんなところで眠っていることはできないものな。

墳墓群の丘から道を隔てて博物館があり、墳墓内の遺物等が展示してある。


摩尼寺 その2 [遠出]

昨日の夕方、車で灰が峰に上がり、写真を撮った。
ちょうどいい陽気のせいか(少し肌寒いが)、カップル(中年のカップルも)が次から次へと上がってくる。
おおかたは短時間で降りていくのだが、5台程度の駐車場がいっぱいになる時もあった。


表題の件

摩尼寺は元々摩尼山の山頂付近にあったらしい。

ちなみに摩尼山という山は日本の他の地にもあるが、韓国の江華島にもある。

江華島の摩尼山は韓国の国祖檀君が天を祀ったとされる伝説の地である。

また、江華島は江華島事件で日本とも因縁のある地である。

ともかく、そんな思いをしたのは後のことで、摩尼寺は霊魂が集まる場というから、何かそれらしき雰囲気がある場所(パワースポット?)に遭遇するのではないかと思っていたところ、特にそんなところはなく、まだ時間もあるのだから「奥の院」に行ってみようということになった。

「奥の院」がどんな場所で、どんなものなのか知りもせず、この上なんだろうと山を登っていった。

正直言って、こんな高い山とは思わなかった。

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また、頂上付近の立岩が奥の院と勘違いして降りてしまった。

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案内表示を理解していなかったので、「奥の院」には行けなかった。

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行けなくても文句言うような筋合いではない。
全く事前調べがないのだから。

摩尼寺 その1 [遠出]

昨日の夕方は月齢1.?と金星のコラボがあるはずだったが、ちょっと西の空に雲が。
チャンスは30分ぐらいだから無理だった。


摩尼寺に行く。

摩尼寺の本堂は、今は摩尼山の麓にある。
摩尼山は標高357mで、古くから亡き人の霊魂が集まるといわれた地である。

本堂に至る石段(仁王門から山門方面を望む)

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石段途中にシャガの群落が数カ所、そして、なんとフデリンドウが咲いていた。


本堂境内の草花 オオジシバリ

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賀露港と賀露神社 [遠出]

昨日、初めて呉市の健診に行った。
いやあ、安いね。
退職してから2回ほど病院で受けてたから。

でもなんか非効率。コンピューター使い切れてないのかな。
待たされて、文句言いのおばさんが盛んに不満をたれていた。

当方は暇なので、この程度はどうも思わないが。
少し、もたもたしてるけど、職員の態度や言葉遣いは親切だったし。


賀露港(鳥取港)と賀露神社

連れの息子について行った。

休日で、港はのんびりと釣りをする親子づれが目立った。

当方は、港の緑地に密生する草花を撮った。

これがそのうちの一つ。
コメツブツメクサ(米粒詰草)  シロツメクサの仲間

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P5041688コメツブツメクサ2縮.jpg


他にも撮ったが、本に載っていないか、写真では判定が難しいものだ。

今頃は、ホームセンターなどでたくさんの外国の草花が売られており、それらが野外に逸出するケースも多いのではないかと想像する。

一応、雑草として年期を踏んだものを取り上げたいものだ。


賀露神社
港の近くにある神社。
いかにも地域の人に親しまれている雰囲気の神社。

境内には、巨木が何本もある。

P5041721賀露神社の巨木縮.jpg


由緒正しい神社なのに木だけか?
よく知らないやつが知ったかぶりで紹介するケースじゃないだろう。

砂丘 [遠出]

昨夜から今朝にかけても、いい天気。
新月前夜でもあるので、星雲や銀河、土星の衛星の撮影を試みた。
朝には新月直前の月も。

どれも失敗。
まだまだだな。


鳥取砂丘というのは、中国山地から流れ落ちてくる花崗岩に由来する砂、沿岸流、季節風で成り立っているらしい。

自分は島根県の安来出身だが、子供の頃の記憶では、

・砂丘は今も膨張しようとしていて、何もしなければ周辺の畑も家も砂に埋もれてしまう。

・だから防風林を育て、鳥取大学を中心に研究し、それを克服しようとしている。

と教わったような気がする。

恐らく、部落のバス旅行の際のバスガイドの説明か、学校の教師の話であろう。

砂を克服し、耕作地を増やすという目的が当然のようにあった。

ところが今は、防風林が育ったせいだろうか、沿岸流が弱ったせいだろうか、季節風が弱くなったせいだろうか、何もしなければ砂丘は消滅しそうなのだ。

砂丘に普通の雑草が生え始めた。ほっておけば、砂ではなく土に覆われ、砂丘の景観が変わってしまう。

そのため、防風林を一部撤去したり、雑草を取ったり、鳥取大学が観光資源としての砂丘を適切に保つための研究を行っている。

世の中は常に変わる。

耕作地をいかに増やすかと考えることが当たり前だった時代から、耕作放棄地が累々と曝される時代へと。

ところで、鳥取砂丘は近くの高台から眺めると、「大きな砂場」そのものなのだが、砂丘の中に入ると、文字通りの砂丘や窪みがあり、雄大感が感じられる。

子供たちも砂の急斜面を登ったり降りたりと楽しそうだ。

やはりこの場は維持して、観光資源として活用してもらいたい。

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砂の美術館 [遠出]

「スタバはなくても、スナバがある」
とは、唯一スタバが無い県となった感想を問われたときの鳥取県知事の言葉である。

準備していたかどうかは知らないが、なかなかうまいもので、負け惜しみを感じさせないところが面白い。

自分の出身県である島根県とはいつも同じような境遇となり、後進県とか過疎とかのビリ争いを揶揄される鳥取県。
今度も、スタバが松江に出店されるということで、鳥取県が唯一の空白県となったわけだ。

それがどうした。つまらんことを取り上げやがって。

スナバされどスナバ。
砂丘へと続く道は渋滞し、駐車場は大混雑。

砂丘の一角にある「砂の美術館」。
今は東南アジア編として、東南アジアの現代の姿や過去の王朝の姿を砂のオブジェで表現している。


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遺跡や建造物のミニチュアというわけではなく、作家が再構成したデザインで、なかなか面白かった。

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